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大高の猩々 「ええ猩々」


 大高町新町組の「ええ猩々」
                                             ( 文章: 早川 真 、 2009年12月27日 )

<ええ猩々とは>
緑区大高町の氷上姉子神社の秋祭りは10月の第1日曜行われています。そのとき町内を巡行する傘鉾車・松車の行列の先導を務めるのが「ええ猩々」です。「ええ猩々」の「ええ」というのは「良い」の訛りで、他の追っかけ猩々(通称「悪い猩々」「暴れ猩々」「喧嘩猩々」など)とは別格であるということを意味しています。

<顔・衣装>
この猩々は他の猩々とは異なり、「能狂言」の猩々に近い格好をしていて、頭・手は朱の漆塗りで、髪の毛は茶色に染めた麻、衣装は煌びやかな錦織を纏っていま・キ。

頭は製作当時から現在まで同じものを使用しています。その頭を納める箱の裏には「丁未弘化四年八朔求之(ひのとひつじこうかよねんはっさくこれをもとむ)」「若者頭 冨右衛門、久助、嘉七、宿本 嘉助」と書かれていて、弘化4年(1847)の8月に購入したことと、そのときの若者頭と宿本(共に祭礼の役)の名前がわかります。なお、文献は残されていませんが京都の人形師が作ったという言い伝えが残っています。

fig.01 ええ猩々の頭部

衣装は現在のものが3代目で、初代・2代目のものも残されており、それぞれの衣装箱の裏の墨書きからわかる製作年は、初代が頭と同じ弘化4年(1847)、2代目が昭和12年(1937)、3代目が平成13年(2001)です。衣装は胴体の竹籠の上に小袖、袴、肩衣を羽織るようになっています。

被っている人は胸元の布で覆われた「息抜き」と呼ばれる部分から前を見ます。ですが、視界がとても狭いので両脇に人(通称:日役)が付いて補助された状態で巡行します。また、衣装を包んでおく文庫には「極天無類猩々緋御題至巻一 土屋店友七 御連中様」と墨書きされています。

<被り手>
昔は「日役」と呼ばれる祭礼の役柄の人が担当していたようですが、現在では「班長」が被り、「総代」が両側について補助をしています。被り手は半股引に白足袋・桐の日和下駄の格好で被ります。
明治期の資料では、この被り手のことを「猩々冠」という風に記載しています。

<民族学的な価値>
「ええ猩々」は尾張南東部に残されている大人形(猩々・七福人など)の中では古い部類に入り、衣装の製作年など江戸期の墨書きがされているものの中では最も古いものです。また、製作当時からの衣装・道具類が残されており、当時の形式を変えずに今に受け継いでいることがわかります。

このことは、江戸期の「鳴海祭礼図」「尾張年中行事絵抄」に登場する鳴海の「神様猩々」の衣装の形式(今とは異なる)と類似している点でも納得できます。ですから、「ええ猩々」は鳴海の「神様猩々」を参考に、新町の造酒屋「萬乗酒造」が大きな寄進元となって製作されたのだと思われます。

また、京都で作られたという伝承も非常に興味深く、鳴海の「神様猩々」、星崎の「布袋」「寿老人」なども同じような伝承が残っています。まだ未調査な資料も多く、今後の調査により大人形「猩々」の起源に迫ることが可能かもしれません。

fig.02 頭箱の裏

fig.03 胴体の籠部分



<初代>
前に述べたように頭・衣装共に弘化4年(1847)に製作されたことがわかっています。詳しい購入値段の記録は残されていません。

衣装に関して、西陣織で小袖は鳳凰の柄で内側は千鳥の柄、肩衣・袴は龍の柄(同一)です。帯は両端が板状に飾られた「綬」という構造になっていて、柄は熱田神宮の五七の桐竹の紋を分離して桐の紋と竹の紋を交互に配した刺繍が施されています。
袴の後ろ側には畳表が入っており着せたときに後ろが立つようになっています。また袴の中には柄や製作者の名前と思われる墨書きがされた紙が入っています。

胴体に関しては、おそらく製作当時のままで編み目は麻で結ばれています。年代の記載はありません。

fig.04 衣装箱の裏 (初代)


fig.05 小袖 (初代)

fig.06 小袖内側 (初代)


fig.07 肩衣 (初代)

fig.08 袴 (初代)

fig.09 帯 (初代)


fig.10 袴裾 墨書き (初代)

fig.11 袴中墨書き (初代)


fig.12 小袖の柄 (初代)

fig.13 肩衣・袴の柄 (初代)



<二代目>
頭は初代からのものです。衣装は昭和12年(1937)6月に、痛みが激しくなり町内の協議により新調することとなり、名古屋松坂屋に依頼したところ、祭礼道具ということで特別安価(このときの費用500円)で調整してもらったという記録が残っています。

衣装は西陣織で柄は初代のものとは異なっていて、小袖は花柄、肩衣・袴は鳳凰柄(同一)です。

fig.14 全体 (二代目)

fig.15 衣装箱の裏 (二代目)

fig.16 小袖 (二代目)


fig.17 肩衣 (二代目)

fig.19 肩衣の柄 (二代目)

fig.18 帯 (二代目)



<三代目>
頭は初代からのものです。衣装は平成13年(2001)に、痛みが激しくなり町内の協議により新調することとなり、名古屋松坂屋に依頼したところ、祭礼道具ということで特別安価(約1200万円)で調整していただきました。平成13年9月30日に氷上姉子神社にて新調披露が行われ10月7日の祭礼を初年とし、毎年祭礼の先導役を務めています

fig.20 全体 (三代目)

衣装は西陣織で2代目と同じ柄で、小袖が花柄、肩衣・袴が鳳凰柄(同一)です。

fig.21 衣装箱の裏 (三代目)


fig.22 小袖・肩衣・袴 (三代目)

fig.23 小袖の柄 (三代目)


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