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猩々の修理


 大高町 氷上姉子神社例大祭 中之郷組「ぺこ」の修理
                                             ( 文章: 早川 真 、 2009年7月19日 )

<修復までの経緯>
中之郷組には「ぺこ」という祭礼の先導役を担う猩々がいます。言い伝えでは大正年間の作と伝えられていて、名前の通り凹んだ顔をしています。神社の境内で他町内の猩々同士で喧嘩をすることもあり、老朽化が進んでいました。
そこで平成18年に町内会・総代会の発案により修理することが決定し、南区笠寺町西松池の久野充浩氏(猩々保存会会長)に依頼することになりました。

 Fig.1 修理前の「ぺこ」の前面

 Fig.2 修理前の「ぺこ」の側面

 Fig.3 中から取り出した
     注入発泡スチロール

<老朽化の状況>
「ぺこ」の顔がへこんでいるのは、最初からその形に作られていたわけではなくて、後から首が潰れて、顔が前に傾いてしまっていたからでした。顔の表面の紙をていねいに剥がしてゆくと、喧嘩によってできた凹凸を直すために紙粘土で形を作り、上から新聞紙を貼り重ねたという構造になっていました。そのせいで原型からはかなり異なった顔になっていたわけです。
また、後頭部には凹こみを直すために鉄の板が入っていました。さらに、凹こむのを防ぐ目的で、本来は空洞であるはずの内部に、注入発泡スチロールが入っていました。

 Fig.4 修理途中の側面

 Fig.5 修理途中の後面

 Fig.6 修理途中の後面

<今回の修理でわかったこと>
凹こみを直す目的で貼られていた紙粘土・新聞紙を剥がした結果、「ぺこ」の原型は久野充浩氏が所有している久納良右衛門(明治末期生まれ)作の猩々の頭と同じもので、同一の型を用いて久納良右衛門によって作られたことがわかりました。他に同じ型を使って作られた兄弟猩々は、星崎の呼続神社、井戸田の津賀田神社の祭礼で登場します。
 Fig.7 修理途中の前面
久野充浩氏の話によると、久納良右衛門作の猩々は昭和初期のものがほとんどで、「ぺこ」もその頃に作られたのではないかとのことです。久納良右衛門作の猩々には作成月日が書かれていないことが多く、「ぺこ」にも書かれていませんでした。
衣装は現在のものが2代目で以前は黄色い格子柄のものだったそうです。籠に関しても久納良右衛門作の他の猩々に比べると明らかに大きく、形状も異なっています。
おそらく以前に大修理が行われて、その際に顔の張り直し・籠の編み直し・衣装の新調が行われたのだと思われます。

 Fig.8 久野氏所有の頭部原型と
      「ぺこ」の頭部との比較

<修理後の状況>
側面からの写真を見ると、首がつぶれて曲がっていたのが、きれいに直っているのがわかります。
顔も、久納良右衛門の作風に近い表情に戻りました。


fig.8 修理後の側面

fig.9 修理後の正面

fig.10 修理後の詳細

<2回目の修理>
額の部分が壊れてきたため、現在、2回目の修理作業中です。
fig.11 2回目の修理前


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